ひー

昨日の続き。『パースペクティブ過剰』について。


激烈ネタバレ中!











・別の見方



 猫が見つけた紙切れは青年の家から飛んできたものだ、という考え方をしてきた。が、別の可能性はないか。
 例えば、「考えられないくらいの人だかり」の中から飛んできた、という見方。
 紙切れの内容は、昨日書いた通り、少なくとも大意は合っているものとして考える。今のところ、他がちと思いつかない。
 で、そうすると、この場合、紙切れ(手紙)は人だかりの中の「誰か」が持っていたということに。
 考えられるのは


 A 紙切れ=青年に向けられたものだったが、「誰か」が預かっていた
 B 紙切れ=青年に向けられたものだったが、その時点ではまだ「誰か」が持っていた
 C 紙切れ=青年に向けられたものだったが、青年の元には届いておらず、「誰か」が持っていた
 D 紙切れ=青年ではない、別の誰かに向けられたもの



 Aについて。
 うーん、ちょっと状況が思い浮かばず。



 Bについて。
 「誰か」は青年にその手紙を届けに来たところだった。
 郵便の配達員か、あるいは、和解の交渉にきた代理人
 前者はまあいいとして、後者の場合、青年に殺害された老夫婦は、もちろん、遺族ではなく青年の両親ということになりそう。青年の家を自分たちで直接訪ねるのなら、わざわざ代理人に手紙を任せる必要はないから。
 で、状況を想像してみる。
 手紙を預かった代理人は、和解の交渉のために青年の家に向かう。青年の家の前で、確認のために手紙を鞄から出したのかもしれない。が、そこで、青年の起こした殺害事件を知る。あるいは、見る。そのショックで、持っていた手紙が落ちる。猫が拾う。
 割と自然な感じ。



 Cについて。
 個人的に一番面白いと思うのがこの形。
 遺族から青年に向けられた手紙が、青年の元に届くまでのどこかで、「誰か」に持って行かれた。
 「誰か」の意図を考えた時に一番しっくりと来るのは、「和解させたくなかった」。この場合、その「誰か」は手紙の内容を知っていたことになる。もしかすると、青年の元に届く郵便物を全て確認していたのかもしれない。
 で、老夫婦が殺害される。
 遺族からの手紙が青年には届いていなかったことが、それに何らかの影響を与えていたのではないか。
 老夫婦の殺害が「誰か」の意図したものであったのか、そうではなかったのか。
 「誰か」はどうして事件を見に来た時に手紙を持っていて、またそれを落としてしまったのか。
 「誰か」とは誰か。
 色々想像できて、色々悪意を想像できて、面白い。
 そんなことを考える時、僕は、最後の二文「彼女はふと、今頃あの青年は何をしているのだろうかと考えた。今頃あの老夫婦は何をしているのだろうかと考えた。」のあたりに、何ともいえないひっかかりを覚える。





 Dについて。
 これも非常に面白い。むしろ、こっちが正しいのではないか、とも思える。
 手紙は青年に向けられたものではなかった。これだと、根本的なところから考えなおす必要が出てくる。
 まず思い至るのが「実は青年の方が遺族側だった」という可能性。
 つまり、あの手紙は青年が書いたものだった、と。
 そう考えると、当然、様々なことが今までとは違って想像できる。


 青年が村に引っ越してきたのは、大切な人(家族、恋人、親友)が殺されて、傷ついて、もうひっそりとしたところで一人、暮らしたくなったから。
 仕事だけは町の方でやっているから、毎日自転車の西山さんに目撃される。
 もっと想像するなら、青年は大切な人がいなくなったせいで、喋れなくなっていたのかもしれない。「こんにちは、と声をかけると、困ったような、恥ずかしそうな顔で軽くお辞儀をする。」というのは、そのためだったのではないか。猫に対する「無言の」優しさも、そんな理由だったのではないか。


 町から来る中年の男女は、青年のことを心配する家族や親戚あたりか。


 手紙の内容(「もう終わりにしましょう」)から分かるように、加害者側(その家族を含め)と、遺族側(つまり青年)の間には、既に長い話し合いや交渉があった。
 青年は、もうそれを終わらせたくて、手紙を書いた。
 そしてその手紙を、代理人(法的な意味に限らず、単に代わりの人だったのかも)に預けた。自分では行きたくないから。
 事件は手紙を預けたその日に起こった。


 老夫婦=加害者、あるいはその親族(両親)
 須田視点から、上流の人間と思われる。
 穿った見方をするのなら。
 老夫婦の家はかなりの力を持っていて、彼ら(またはその子供など)が過失によって人(青年の関係者)を殺してしまった時に、それが公にならないようにしたのではないか、と。そういうこともあって、交渉が長引いていた。
 そんな考え方をするなら、青年がこの老夫婦を殺害した動機も、割とすんなり想像できる。


 抵抗の敵わない「力」の前に、泣く泣く諦め、和解に入ろうとしたところに。
 加害者(あるいはその関係者)がやってきて。
 何かがあって。
 青年は、耐え切れず、老夫婦を殺害した。「地面に膝を落として」「鉈を振り上げては下ろしていた」


 青年から手紙を預かっていた人物は、青年の家で何かが起こったことを知って、そこに向かった。この時、慌てて、持っていた手紙をそのまま持っていったのかもしれない。
 そこで、事件のことを知り、ショックで、手紙を落としてしまった。


 ……ここまでまとめて気付いた。
 この場合、手紙は代理人を通していなかったとしても大丈夫か。
 加害者が家に来たから、青年は書いていた手紙を彼らに渡す。もしかしたら、和解の手紙を書いておく、という約束だったのかもしれない。
 その時に何かがあって、青年は彼らを殺した。当然、手紙は落ちる。
 今まで検討していなかったこと(本当は、説明がつかないから逃げてた^^;)で、
 「どうして手紙は封筒などから取り出された状態で落ちていたのか」
 という疑問も、これなら説明がつく。
 老夫婦は、青年から渡された手紙が間違いのないものか、その場で封を開けて確認した。その時に何かがあって、青年に殺された。手紙は封筒から取り出された状態で落ちた。
 うん、問題無さそう。
 今日の主旨だった『・別の見方』からは、随分とずれるけど。



 最後の「死刑確定」は、やはり青年に下った判決だろうか。
 情状酌量の点から見て死刑は少し厳しい気もするけど、相手が金にものを言わせた、とでも考えれば。


 こう考えると、青年が、一気に同情される立場になってくる。









・ここで突然タイトルのこと



 この『パースペクティブ過剰』という物語については、昨日考えたことも含めて、様々な想像ができる。
 つまりそれが『パースペクティブ(予想、見通し)過剰』ということだろうし、
 昨日まとめた時系列を見れば分かるように、16kbという長さにしては、あまりにも多かった「視点」についての『パースペクティブ(視野)過剰』ということだろう。
 さらにいえば、10年前の出来事をあたかも現在あったことのように(思わせるように、ミスリードを誘って)書いたところなんかも、まるっきり『パースペクティブ(遠近法)過剰』で、たねの「それは正確に数えれば十年前の話だったのだが、年老いた彼女は全く異なったときの辿り方をしていたから、十年前の出来事もつい数時間前のことのように感じられていた。」というところなんかも『パースペクティブ(遠近法)過剰』ってことか。
 もっともっというなら、今のように、多くの人がこの作品について意見を出す状況が、作者の狙った『パースペクティブ(予想、見通し、視野)過剰』ということなのでは。









 書くこと他に無かったかな……
 ま、思い出したら、思いついたら、また何か書きます。
 今はただ……





 疲れた……(笑)