あうー

竹仙人さんのとこから。No.008 パースペクティブ過剰 について。


>ネタバレがないように気をつけてのことだとは思うのですが、各所で感想を見ていると、「すごい」や「圧倒的」といった形容詞で評されていることが多く、内容にはほとんど触れられていないんですね。で、端的に言って、ちゃんと読んでいるのか、と(笑)。


これは確実に僕も疑われてるなぁと思ったので、考えていることを詳しく書いてみたいと思います(笑)


言うまでもないことですが、壮絶なネタばれになります。ご注意くださいまし。






・時系列に




→ 雨が降り出す。たね、バス停脇の小屋に行く。遠野(銀行さん)がいる。老夫婦、バスから降りる。雨が止む。老夫婦、たねと遠野(銀行さん)とすれ違う。たね、「停電になったかのように、たねの視界は不自由になった」。バスに乗った遠野、窓を見る。晴れ渡った空。(たね・遠野視点)


→ 老夫婦、トラックの運転手(溝口)に手書きの地図を見せ、道を教わる。行き先は青年の家。雨は止んでいる。(溝口視点)


→ 老夫婦、須田の店に立ち寄って甲子園のテレビ中継を少し見る。食事。会計。店を出る。(須田視点)


→ 昼過ぎ。老夫婦、迷う。分かれ道で立ち尽くす。和服の老人(中村)から道を教わる。行き先は青年(東京さん)の家。自転車に乗った西山とすれ違う。晴れていたが、中村は「また雨雲が来るだろうと直感した」。(中村・西山視点) ※西山が勤め先に着く頃、救急車だか消防車だかパトカーだかの音。


→ 老夫婦、青年の家に到着。玄関から声をかける。猫を見つけるが、その猫はすぐに逃げ出す。(猫視点)


→ 自転車の少年、青年の家から逃げ出した猫に驚いて転ぶ。青年の家を覗く。青年は「地面に膝を落として」「鉈を振り上げては下ろしていた」。(少年視点)


→ 須田、サイレンを聞く。太陽が落ちようとしている。パトカーや救急車が駆けつけていた。須田の妻、人だかりで中は見えなかった。(須田〜須田の妻視点)


→ 猫、青年の家に戻るも、人だかりのため入れず。紙切れが飛んでくる。少年にそれを奪われる。少年、紙飛行機にして飛ばす。再び雨が降り出す。(猫〜少年視点)


→ たね、派出所の中に入る。雨は止みかかっている。「夕暮れがすぐにやってくる、そんな匂い」。死刑確定という新聞記事。長塚巡査が派出所に戻ってくる。雨が止んで太陽が見える。たね、派出所を出る。たね、「不意に、青空が途切れたような錯覚を抱いた」「そういえばこんなことが前にもあった」「正確に数えれば十年前の話だったのだが」「十年前の出来事もつい数時間前のことのように感じられていた」。たね、青年と老夫婦を思い出す。



・まず


 最終パラグラフは、それまでの十年後である。
 移り変わりする天候と時間帯を表す記述、それを読み手に追わせることで、あたかも全てが同時期であったかのようにミスリードさせる狙いか。


 「睦まじくバスを降りた老夫婦の小さな背に目をやったときに感じた視界の断絶を十年のときを隔ててもう一度味わうことになるとは、村一番の年寄りであるたねも想像しなかったに違いない」 第一パラグラフ冒頭
 「不意に、青空が途切れたような錯覚を抱いた」「そういえばこんなことが前にもあった」「正確に数えれば十年前の話だったのだが」「十年前の出来事もつい数時間前のことのように感じられていた」 最終パラグラフ終わり


 第一パラグラフ冒頭の一文(あるいは二文)は、パラグラフの中でも浮いたものだと思われる。そこのみが、十年後の現在(最終パラグラフ時点)からの記述。





・青年(東京さん)と老夫婦


 老夫婦は青年の家をこの時初めて訪ねた。老夫婦が散々迷っていること、村人が知らない顔といっていることから。
 少年視点で、青年は「地面に膝を落として」「鉈を振り上げては下ろしていた」
 さらに、その後、パトカーや救急車が駆けつけていることから、青年はこの時、老夫婦を殺害したものと思われる。
  どちらか一方、あるいは両方を殺害。少年が悲鳴らしきものを聞いていないことから、恐らく、一方を殺害後、声をあげさせる間もなくもう一方の口を封じて(口を押さえる、あるいは殴るなどして)のしかかり、「地面に膝を落として」「鉈を振り上げては下ろしていた」のでは。





・猫が拾い、少年が読んだ紙切れ


 『が、ごめんなさい、と、ってくれれば、します、もう、わりにしましょう、ただ、で、手を、わせてください。』


 少年は難しい漢字が読めない。つまり、空いているところは全て漢字。
 まず予測できるのは、「ごめんなさい、と《謝(言)》ってくれれば」「もう《終》わりにしましょう」あたりか。「ごめんなさい」の前後はそのまま「、」で問題無さそう。
 その二つから考えて、「謝ってくれれば《和解(許)》します、もう、終わりにしましょう」
 「〜で、手を〜わせてください」と考えると、「〜で、手を《合》わせてください」ぐらいしか浮かばず。
 「〜で〜手を〜わせてください」と考える。「〜で《相》手を《会》わせてください」 相手を会わせる、では妙か。
 前者だとして、手を合わせるのだから「ただ《墓前(墓)》で、手を合わせてください」か。
 あるいは、やはり「、」ではなく漢字が入ると考えて「ただ《墓前(墓)》で《毎年(毎周忌・周忌毎・一度)》手を合わせてください」 ただ墓前で一度手を合わせてください、が一番しっくりと来るけど、少年は「手」という漢字を読んでるから「一」ぐらい読めそうな。
 「〜が」の部分は主語と考えて、「《貴方(当人・本人・其方)》が」か。「人」も読めそうかな。「方」は読めない……と信じたい。
 まとめると、


 『貴方が、ごめんなさい、と謝ってくれれば和解します
  もう終わりにしましょう
  ただ墓前で毎年手を合わせてください。』


 こんな感じかな。
 以下、これが大意を捉えているとしての推論。







・紙切れから考える


 上記「紙切れ」を、誰かから青年に向けられた手紙だと考える。青年の家の前にいた猫。その元に飛んできたことから、恐らく、紙切れは青年の家から飛んできたものだろう。(他の可能性についてはまた後で)
 手紙の内容を見るに、青年は過去に人を殺している。
 と、すると、これは遺族が青年に向けた手紙、と考えるのが妥当。
 「謝れば和解する(許す)」とあることから、青年は、過失によって人を殺したとみられる。車やバイクによる事故など、まぁその辺は何とでも。
 で、多分、補償問題か何かで話が長くなっている、と。だから『もう終わりにしましょう』と遺族側が言ってきた。


 手紙は、物語中、老夫婦が青年の元に持ってきたと考えられる。
 青年に殺害された時に落ち、強くなった風に飛ばされて、それを猫が拾ったというのが自然な流れ。
 物語以前、既に青年の手に渡っていたとすると、その手紙が猫の近くまで飛んできたというところにちょっと無理が生じそう。
 少年が紙飛行機にして飛ばしているところから(加えてそれが「それは風に乗ってよく飛んだ」ことからも)、この手紙はまだ新しいものだと考えられる。しわしわの紙じゃ飛ばないからね。
 と、すると、やはりこの手紙は老夫婦がその日持ってきたものだと考えるのが一番しっくりくる。


 「月に何度か、彼が見知らぬ中年の男や女と一緒にいるところを見かける。どうやら町から一緒に戻ってきているようなのだが、いつだってそれ以上は踏み込めないのだった。」本文より
 この「見知らぬ中年の男や女」というのは、保護観察官だったのではないか。
 青年は、保護観察の期間を人目、世間から離れて過ごすために、物語中の村に引っ越して来たのでは。
 村の誰も青年の顔を知らなかったことから、青年が罪を犯したのは未成年の時(18歳未満)だったと予測。それならメディアに顔出ないからね。
 ただ、最終パラグラフでも分かるように村の人はそういう事件に無関心っぽいから、青年が以前事件を起こした時、新聞とかに顔は出てたけど普通に知らなかった、覚えてなかった、でも十分に通じそう。
 問題の「見知らぬ中年の男や女」は、補償関係で青年の元を訪れた弁護士、という見方もできそうだが、そうすると、「町から一緒に戻ってきて」いるところに疑問。
 この辺り、保護観察や補償についての知識を持っていないので、ちょっと微妙^^;









・青年と老夫婦の関係



 考えられる可能性は三つ。



① 親子
② 青年が殺した人の遺族(恐らく両親か)
③ その他



 有力なのが① 青年が20代〜30代で、「老夫婦」ということだから彼らは60代〜70代あたりか。まあ遅めの子供だと考えれば。
 で、何故①が有力なのか。
 老夫婦が例の手紙を持ってきたと考えられるから(これについては上で述べた通り)。
 まさか遺族が直接自分たちで手紙を持ってきたとは思えない。会うなら普通手紙はいらない。
 青年の両親の元に被害者の遺族から手紙が届いた。保護観察中の人間の住所は公開されなかったはず(この辺自分すごく曖昧です^^;)だから、遺族は青年の両親の元に手紙を送った。
 老夫婦、つまり青年の両親は、その手紙を青年に直接届けるとともに、彼を遺族の元に連れて行こうとしたのではないか。「ごめんなさい」を言わせるために。墓前で手を合わさせるために。
 それで、老夫婦は物語中の村へ、やってきた。


 青年の両親は、迷いながらも村人の手を借りて何とか青年の家に到着。
 そこでどんなやり取りがあったのかは想像するしかないが、結果として、青年は自分の両親を殺害。
 「地面に膝を落として」「鉈を振り上げては下ろしていた」 何かよっぽどのことがあったんでしょうね。
 日本において「親殺し」はかなりの重罪で、かつては問答無用で「無期懲役、あるいは死刑」だった。それ以外の処置は無し。「子殺し」はそんなことなかったんだけど。
 今はそれも改正されて(ある事件を通して、命の重さは平等だという観点から)、即死刑ってこともなくなったけど、それでもやはり「親殺し」が重い罪であることに変わりはない。特に今回の事情では。
 10年後に「死刑確定」となるのも当然か。






 ②について考える。
 この場合、例の手紙は、物語以前既に青年の元に届いていたと考えられる。やっぱり遺族が手紙を直接持ってくるってのはねえ……
 この解釈(手紙が既に届いていた)がちょっと苦しいのは前述の通り。
 まあ、ありえないことも無いのでこの可能性についても検証しますね。


 老夫婦が被害者の遺族だとすると、事件のことで話し合いに来た、と考えていいだろう。例の手紙から考えても、和解しに来た、というところか。
 本文中にある「夫人はまるで菩薩のような優しい笑みをたたえていた」とか「あるいは、そのすべてを赦すために微笑んでいるような眼差しはきっとおれへ向けてのものではないのだな、と思い」とか、その辺りの描写は、むしろこちらの説を強めているように感じる。
 被害者の遺族、恐らくは親であろう老夫婦。悲しみ、怒り、憎しみ、そういうものを乗り越えての「まるで菩薩のような優しい笑み」「すべてを赦すために微笑んでいるような眼差し」だったのではないか、と。
 で、青年はそんな老夫婦を殺害する。鉈を何度も振り下ろして。
 そら、死刑にもなりますわ。




 ③について。
 老夫婦が弁護士だったり保護観察人だったりする可能性も無いことはないのかもしれないけど、まあぶっちゃけ、それじゃあ話があまり面白くなりそうにないなぁ。


 ①か②のどちらか、まぁ手紙のことから考えるとやっぱり①が強そうかな。
















 ……と、考えるのが普通なのでしょうが。


 実は、更にブラックな内容も考えてます。




 でも疲れたから続きは明日で(笑)
 タイトルの意味についても明日触れます。